History

歴史

今、このページに

たどり着いたということは

あなたがSmodgeという存在を

ほんの少しでも

知ろうとしてくれている

ということなのでしょう。

そのことが

私にはどこか嬉しく

そしてまた

少しだけ不思議な

巡り合わせのようにも

感じられるのです。

私はこれから

Smodgeにたどり着くまでの

道のりを語ろうと思います。

けれど

多くを語るつもりは

ありません。

ただ

輪郭だけをすくい上げるように

綴ってみたいのです。

それは

計画された物語ではなく

いくつもの偶然と直感

そして

前兆への気づきの

積み重ねの中にありました。

私は今

コンピュータの前に座り

遠い記憶をたどりながら

これを書き起こしています。

ホワイトセージ

あるとき、私は

「ホワイトセージは世界で最も
“浄化作用”の強い植物である」

という言葉を

目にしました。

それは

ただの情報としてではなく

どこか

ひらめきのように

あるいは

呼びかけのように

感じられたのです。

そして私は

それを試してみたいと

思ったのです。

履歴を辿ると

2021年2月21日

Amazonで

「ホワイトセージ」と

「パロサント」を

購入しています。

2と1が並ぶ

どこか象徴的にも思える

日付です。

こうした数字の並びに

私は昔から

言葉にしがたい何かの気配を感じ

つい意味を重ねて

見てしまうところがあります。

けれど

それはあまりに個人的で

人には少し不思議に

映ることでしょう。

私はそれまで

お香を焚く習慣を

持っていませんでした。

むしろ

好みでもありませんでした。

寺社から漂う

お線香の香りも

どちらかといえば

少し苦手でした。

お線香の種類によっては

化学的な成分を

含むものもあるのかも

しれません。

けれど

実際にホワイトセージを

試してみると

理性や思考が

判断するよりも先に

直感が静かに告げました。

「ホワイトセージこれは好きな香りだ」と。

特に

今も目に焼き付いている

光景があります。

朝日が

穴の開いた雨戸から差し込み

光芒のような強い光が

煙を照らして

その姿を浮かび上がらせる。

ゆっくりと揺らぎながら

立ちのぼる煙の

独特な動き。

気がつけば私は

時間を忘れて

ただその光景を見つめ

すっかり魅了されていたのです。

喫煙

そしてそのとき

私の中に

ひとつの小さな考えが

浮かびました。

「これを吸ってみたらどうだろう」と。

それはどこか

無邪気で

少しいたずらめいた

ひらめきでも

あったのです。

そして翌日

2021年2月13日には

私は多くを調べ

喫煙のための道具を

購入していました。

今になって

履歴を見返してみると

それはまるで

長年の喫煙者の装備のような

ラインナップにも見えます。

けれど私は昔から

初心者であっても

形から入ってしまうところが

あります。

ひとたび興味を持つと

一式を揃えたくなる。

それは

探求心の表れでもあり

同時に

少し過剰な

「衝動的行動」でもあります。

あまり望ましい習慣とは

言えないのかも

しれません。

けれど

香りという

見えないものを通して

私は何かを

確かめようとしていたのかも

しれません。

振り返ってみると

そこにあったのは

「体験してみたい」という

ただそれだけの

純粋な欲求だったようにも

思えるのです。

嫌煙家

私はもともと

非喫煙者であり

どちらかといえば

嫌煙家でした。

父も母も

長年のスモーカーでした。

父は喘息をきっかけに

煙草をきっぱりとやめました。

それ以来

母の煙を

ひどく嫌がっていたことを

私は今でも覚えています。

歩きタバコをする人に

無意識のうちに

厳しい視線を

向けてしまうことも

ありました。

それほど私は

喫煙というものに対して

強い嫌悪感を

抱いていたのです。

「歯が黄色くなる」

そんな現実的な印象もまた

抵抗感を

強めていたのでしょう。

それでも不思議なことに

映画やドラマの中で

煙をくゆらせる姿だけは

どこか格好よく見えた。

そのイメージに惹かれて

何度かタバコを

試してみたことがあります。

けれど

どうしても

受け入れることが

できませんでした。

独特の匂い。

喉にぐっとくる刺激。

体がニコチンという異物を

はっきりと拒んでいるような

感覚。

吸いすぎて

クラクラし

1時間ほど

横になっていたことさえ

あります。

「もう二度と吸うものか」と

何度思ったことでしょう。

けれど

ホワイトセージは

違いました。

意外なほど

心地よかったのです。

口の中で

香りを燻らせるのもよし

鼻を通して

その気配を感じるのもよし。

そして何より

肺に吸い込んでも

タバコ特有の

あの拒絶的な抵抗感が

ありませんでした。

その瞬間

ひとつの可能性が

浮かびました。

「これはタバコや電子タバコに
代わりうる存在なのではないか」と

私はそのとき

初めて

拒むことなく迎え入れられる

煙に出会ったのかも

しれません。

ハーブティー

そこで私は

食品グレードの茶葉を

試してみようと思い

近所のハーブティー専門店へ

足を運びました。

それまでの私は

ハーブティーというものに

まだほとんど

触れたことが

なかったのです。

店内で試飲させてもらった

強いレモンの香りを放つ一杯を

口にした瞬間

胸の奥に

小さな驚きと

確かな感動が

広がりました。

正直に言えば

その頃の私は

「ハーブティーは女性が好んで飲むものだ」

という

先入観を抱き

どこか

「女性的な飲み物」として

捉えていたのです。

もしこの表現によって

誰かの心に

ざわめきを生んでしまうのなら

申し訳なく思います。

けれど

ここに綴っているのは

あのときの私にとって

偽りのない

ありのままの感覚です。

そこで私は

ひとつの考えに

たどり着きました。

まずは茶葉を

喫煙用として試してみる。

もし合わなければ

ハーブティーとして

飲めばいい。

そう思えたことで

どちらに転んでも

無駄にはならないのだと感じ

私の心は

少しだけ

軽くなったのです。

そこで私は

人生でこれまでにしたことのない

買い方をしました。

10gほどに小分けされたパックを

見渡して

「お店にあるものをすべてください」と

伝えたのです。

差し出されたレシートは

思わず見入ってしまうほど

長いものでした。

今になって振り返れば

少しやりすぎだったのかも

しれません。

けれど

あのときの私は

ただ勢いに任せていた

わけではなかったように

思うのです。

良いように言えば

「これは喫煙者を無理なく減らし
別の選択肢への移行を促していく
社会的な意義を持つものに
なるのかもしれない」と。

私はその場で

そんな気配を

確かに感じていたのです。

ミキサー

続いて私は

ミキサーを購入しました。

以前からずっと

コーヒーショップや

スムージースタンドで

それを見かけるたびに

どこか羨ましい気持ちで

眺めていたのです。

けれど

あまりに高価だったので

もし使わなくなったら

どうしようと思うと

なかなか手を出せずに

いました。

それでも

形から入る性分の私は

どうせなら

良いものをと思い

思いきって

奮発したのです。

けれど

この道具が

本来の目的で

活躍する機会は

あまり訪れませんでした。

それは

あまりにも

パワフルだったからです。

繊細な葉や花を扱うには

その力強さは

少しばかり

過剰でした。

やがてそのミキサーは

バナナジュースや

ヨーグルトドリンクを作る

相棒として

日常の中に

居場所を

見つけていくことになります。

結局のところ

私の探求よりも

朝のバナナジュースのほうが

彼には向いていた

ようでした。

コーヒーミル

私は以前から

これを愛用しており

とても気に入っています。

ただ

プラスチック製の蓋の部分は

私の不注意で

割ってしまいました。

それでも

テープで留めながら

今も使い続けています。

まだ

その役目は

終わっていないのです。

完全な形であることだけが

価値を決めるわけではない。

傷を受けながらも

なお役割を果たし続ける姿に

私はどこか

親しみを覚えます。

道具もまた

使われ

ともに時間を重ねることで

ただの物ではなく

小さな物語を

宿していくのかも

しれません。

焙煎機

茶葉によっては

ほんの少し

火を通すことで

水分が抜け

燃焼は安定し

香りや質感が

やわらかく整っていく。

そんな変化に

私は気づくようになりました。

そして私は

なぜか

コーヒーの焙煎機を

購入しました。

形から入る性分の私は

本当に必要かどうかを

考えるより先に

まず道具を

迎え入れてしまうのです。

けれど

その焙煎機に

火が入ることは

ついに一度も

ありませんでした。

やがて私は

それを手放しました。

役に立たなかった

というより

すでに

十分だったものに

気づいたからです。

鉄製の

「ターク」という

小さなフライパンで

もう足りていたのだと。

パイプ

私はさらに

歩みを進めました。

2021年3月3日

Savinelliのパイプを

迎え入れたのです。

パイプは

実に美しい道具でした。

巻紙を用意する必要はなく

適度に砕いた茶葉を

燃焼室に満たせばいい。

けれど

現実には

ガスライターで

茶葉を炙りながら

吸引するたび

どこかガスの香りが

鼻先をかすめ

微かな違和感を

残しました。

マッチを使うという

選択肢もあります。

けれど

何度も火を灯す手間を思うと

その所作は次第に

単なる面倒な

反復作業のようにも

感じられてきます。

さらに

燃焼室に残る香り

いわゆる「ゴースト」は

想像以上に強く

しぶとく留まりました。

どれほど木を削っても

取りきれない匂いには

頭を悩ませました。

それはまるで

洗わないままの同じコップで

ずっと別の飲み物を

飲み続けるような

感覚です。

そして

口にくわえるステム

マウスピースの内部には

驚くほどの油分が

蓄積していきます。

無水エタノールで

洗浄を重ねてもなお

奥から残留物は

現れ続けました。

この細い管を

掃除するのに

最も適していたのは

意外にも

アコースティックギターの

弦でした。

そうして私は

気がつけば自然と

パイプから

手が遠のいていったのです。

けれど

このときに合わせて

購入したライターは

きっと一生の相棒に

なるのだと思います。

そして同じく手にした

タンパーは

Smodgeを作るうえで

欠かせない道具に

なりました。

パイプのタンパーとは

ボウルに詰めた葉を

上からやさしく

押さえるための道具です。

シーシャ

その流れの中で

私はさらに

別の体験へと

手を伸ばしました。

煙を味わう文化には

まだ知らない側面が

あるように

感じられたのです。

2021年3月16日

「Oduman N5 Z」の

シーシャ(水タバコ)を

迎え入れました。

当時

ODUMANは

シーシャの世界で

広く知られた存在だったように

思います。

もっとも

私はその領域に

詳しいわけではなく

ただ評判という響きに

導かれただけだったのかも

しれません。

透明なガラスの器と

ブクブクと

水が揺らぐ音。

その佇まいは

どこか儀式のようで

ゆったりとした時間を

約束してくれるように

見えました。

けれど

実際に使ってみると

その期待は

静かにほどけていきました。

準備には

思っていた以上に

多くの手順が必要で

炭を起こし

各部を組み上げていく。

その過程は

少しばかり

重たい準備の連なりのように

感じられたのです。

ただ

それを十分に

使いこなせなかったのは

他でもない

私自身の未熟さゆえ

だったのかも

しれません。

三度ほど

使ってみたものの

私の内側に

深く響く感覚は

ついに訪れませんでした。

やがて

数年の時を経て

私はそれを

手放しました。

中断

その前後

私の周囲では

別れや災難と呼ぶほかない出来事が

静かに重なっていったのです。

それらについて語る時が

来るのかどうか

今はまだ

わかりません。

ただ

ひとつ確かなのは

良い茶葉を探す旅の歩みが止まり

いつの間にか

途切れていたこと。

そして

手元にあった茶葉の

ほとんどが

封を切られぬまま

残されていた

ということでした。

フリーマーケット

そして四年の時が流れ

2025年2月16日

日曜日。

私は知人とともに

「日本でいちばん海に近いフリマ」

とも呼ばれる

七里ヶ浜の

フリーマーケットを

訪れていました。

スマートフォンに残された

写真の日付を見て

私はふと気づきます。

その数字が

私の誕生日

「126」と

どこか似た響きを

持っていたのです。

「126」という数字については

ここでは

多くを語らないことにします。

語り始めれば

あまりに長い物語に

なってしまうからです。

潮の香りを含んだ風の中で

ふと

ひとつの思いが

よぎりました。

「ここでSmodgeを売ってみるのはどうだろう」

それは

止まっていた探求が

息を吹き返したように

感じられた

瞬間でもありました。

けれど同時に

別の声もまた

内側から

立ち上がってきます。

どう考えても

Smodgeの見た目は

怪しく映る。

長年この

フリーマーケットを支えてきた

運営の方々や

出店者の方たちの前で

これまでの歴史や秩序を乱すような

余計な注目を集める存在には

なりたくありませんでした。

けれど

その一方で

このSmodgeの持つ良さは

伝えたいとも

思っていました。

既存のコミュニティの調和を

守りたい気持ちと

どこか怪しく映る

このSmodgeの良さを

分かち合いたいという衝動。

その二つが

せめぎ合っていたのです。

実験

潮の香りのする

あの日を境に

私は再び

小さな実験を

重ねるようになりました。

そして

約60種の茶葉を

試していくうちに

ひとつの葉に

出会ったのです。

それが

ペパーミントでした。

それまで私は

ミントに

あまり良い印象を

持っていませんでした。

市販のチョコミントアイスや

ペパーミント味の歯磨き粉が

どうにも苦手だったからです。

もっとも

モヒートに添えられる

スペアミントは

好きでしたが。

けれど

実際に試してみると

不思議な感覚が

訪れました。

セージのような苦味は穏やかで

驚くほど

吸いやすい。

そして何より

他のハーブでは

あまり感じられない

ほのかな甘味が

そこにあったのです。

甘味といえば

甘味料として知られる

「ステビア」も試しましたが

私の感覚には

あまり馴染みませんでした。

ちなみに

セージとペパーミントは

いずれも

シソ科に属する植物です。

私は次第に

ミントへと焦点を定め

無農薬で育てられたものを

探し求めるように

なりました。

試したのは

スペアミント

アップルミント

ブラックペパーミント。

それぞれに

異なる個性と魅力が

ありました。

けれど

その中で

なじみやすさや

燃焼の安定性

そうした全体の

バランスを

もっとも

保っていたのは

ペパーミントでした。

それは

私が発見したという類のものでは

ありません。

古代から

人々に親しまれてきたことは

明らかであり

今この瞬間にも

それを愛用し続けている

先駆者であり

先達の方々が

いるのでしょう。

その流れの中で

新参者にすぎない私が

遅れて

ようやく

そこへたどり着いた。

それは

選んだというより

自然と導かれていった

というほうが

近い感覚でした。


続く